似顔絵を通じて多くの人とHAPPYを共有したい
ハッピーエンジェルの想い
似顔絵を手渡したときのお客様の笑顔は、描き手としてのやりがいを最も感じる瞬間であり、お客様と「HAPPY」を共有できた瞬間であると感じています。私はこの「HAPPY」という言葉がとても好きです。私自身、常にHAPPYでいたいし、周りの人たちにもHAPPYでいて欲しいと思います。そういった想いから、ショップの名前をハッピーエンジェルと名付けました。
お客様の大切な人に対する愛情や感謝といった気持ちを、似顔絵という形で表現し、HAPYYを共有していただくことが私の使命であると感じており、そうなることが私にとってのHAPPYでもあります。
岡野 藍
幼いころに漫画に色をつけて遊んでいたのが原点。
中学1年のときに絵で生きていくと決めました。
物心ついた頃から絵を描くのも見るのも大好きで、漫画にクレヨンや色鉛筆、絵の具を使って色をつけて遊んでいたのが、絵を描くようになった原点だと思います。小学生になると、教師をしていた母の指導で絵を描き、コンクールで入賞することもありました。人気のある漫画やアニメのキャラクターを描くと、友人たちが喜んでくれ、誰かのために絵を描く楽しさ、喜びを知ったのもこの頃です。
中学生になる頃には、美術科のある高校に行くと決め、中1のときから画塾に通いました。画塾は美術科高校受験に向けた進学塾のようなもので、中学3年生しか塾生がいませんでしたが、先輩たちに混じって3年間、絵の勉強ができたのは私にとっても良い経験になりました。
ガムシャラに絵に取り組んだ高校時代。
挫折を味わった大学時代。
希望どおり美術科に進学できた高校の3年間は、ガムシャラに絵に取り組みました。といっても絵ばかり描いていたわけではなく、同じくらい遊んでもいました。たくさん遊んでいろいろな経験をしないと良い絵は描けない!はず(笑)。将来のことなど何も考えずにひたすら絵に、遊びに精を出し、そのままの流れで東京の美術大学に進学しました。
特に自分に自信があったわけではありませんが、大学では上には上がいるということを思い知らされました。かといってふてくされるわけでもなく、高校のときと同じように学業、遊び(主にこちら笑)にその日をめいっぱい楽しんで生きていました。
卒業後は、なんとなく教員免許をとったものの、アーティストとしての道をすてきれず、かといって絵を仕事にするという具体的なイメージもわかず、とても悩み、苦しんだ時期でした。
人生を変えたカリカチュアとの出会い。
そのような感じで、やりたいことも見つからず、モラトリアムに生きていた時期に、カリカチュア・ジャパンという会社に出会いました。カリカチュアとは、人物の特徴を極端に誇張して描く似顔絵です。カリカチュア・ジャパンは、その名の通りカリカチュアを専門に手がけ、多くの素晴らしいアーティストが集まる会社で、日本のみならず世界でも活躍しています。
初めてカリカチュアで自分の似顔絵を描いてもらい衝撃を受け、それまで全く知らなかった、カリカチュア、似顔絵の世界に一気に傾倒しました。会社の一員でもないのに、アメリカでおこなわれるカリカチュアの世界大会に自費でついて行き、アーティストのみなさんと一緒に過ごすうちに、「この会社で働きたい、これを仕事にしたい」と強く想うようになり、入社させていただきました。アーティストの方々に描いていただいた自分の似顔絵は、いまでも大切な宝物です。
カリカチュアも似顔絵もまったくやったことがなかったので、最初はとにかく描いて描いて描きまくりの日々です。横浜の山下公園で人々に声をかけ、1日で100人描いたこともありました。カリカチュア・ジャパンでは毎日が充実していて、この時の経験がなかったら今の私はなかっただろうと感じています。
東京での経験を地元大分の若い人に伝えたい。
東京で約10年間暮らし、30歳を前にして心境に変化がでてきました。大学で味わった挫折感や苦しかった時期のこと、会社での仕事、経験を地元大分の若い人にも伝えたいと思うようになり、帰郷を決意しました。
帰郷後は高校で2年間美術の教員を務め、自分の経験を伝えながらも、もし学生から「美術を仕事にしたい」と相談されたときに、自分ならどういうアドバイスができるか、また自分なりに「絵を仕事にする」ということについて真剣に考えるようになりました。
学生のうちはいいにしても、卒業後もアーティスト活動と仕事を両立するのは大変なことで、ましてやアートを仕事にするということは、ほとんどの人が難しいのが現状です。地元の美術系学科の卒業生も、アートとは関係ない職業に就く学生が多いという話も聞きました。
私は似顔絵という限られたジャンルではありますが、絵を描く仕事をさせてもらっていました。東京で経験したことを活かし、私がそういった若い人たちのモデルになれるような方法がないかを考えた末、もう一度似顔絵でチャレンジしようと思い、教員を辞めて独立、ハッピーエンジェルを設立しました。
地方でもアートを仕事にできるということ。
若いアーティストのモデルに。
現在はインターネットやSNSの普及で、地方にいながら全国・世界で仕事ができる時代です。また、人の手でしか作れないものは、どんなに科学技術が発達しようとすたれることはありません。
私は、対面で似顔絵を描く場合、お客様との会話を重視しています。その中で出てくる、お客様の性格や想いを絵に反映させます。絵を描くという仕事柄、アーティストという肩書で呼ばれることが多いですが、お客様の似顔絵を描く私は、自身をクリエイターだと思っています。
アーティスト(芸術家)とは、自分自身の想いを作品で表現するものです。逆にクリエイターは、お客様の想いを表現したり、問題を解決するものだと思っています。お客様が相手に伝えたい愛情や感謝の気持ちなどを、似顔絵を通して表現できればと思っています。
お客様のニーズを的確にとらえ、クオリティの高い商品を提供していくことで地方にいながら全国のお客様に喜んでいただけます。絵を仕事にするということ、都会にいかなくても大きな仕事ができるということ。おこがましい考えかもしれませんが、私の活動が若いアーティストの生き方のヒントになり、引いてはそれが大分のまちを元気にすることにつながればいいなと思います。